レーシック訴訟は本当の意味で被害者のためになり得るか
批判の意見も出るだろうことは承知で、今回の法的解決を求めた訴訟について思うことを書いてみたい。
今回の裁判にあたっては被害者の中でも賛否の声があった。自分は提訴理由がこのレーシック問題の本質を問うものであり、後遺障害とともに生きていく助けになるなら参加したいと思っていたが、今はこの提訴に疑問を持っている。ちなみに自分の症例は難しいとの弁護士からの報告だったが、別に自分が外れたから不満を抱いていわけではない。
これまでも書いたようにレーシック手術そのものに問題があるのであって、ガイドラインを守ったからいいとか、説明義務を果たしたからよいという話ではないと思っている。それすら守られていないのだから話にならないのであるが、今回の提訴理由はこのあたりを指摘したものである。
だが、実はこれは彼らにとって特に痛い話ではなく、省みるきっかけにはならないと思うのである。
結局は治せないのだから、金銭的賠償を求めて精神的な負担を軽くしたり治療費にあてたり、レーシックの危険性を世間に流布するという意味ではよいのかもしれない。
しかし、仮に勝訴したとしても例えば治療費の半分も戻ってこない可能性が高いことは最初から弁護士ともどもわかって進めている。弁護士費用や諸経費でほぼちゃらになるだろうと予想している。
提訴理由が事の本質をついたものではなく、レーシックは「いい部分もある」を前提に、主に手術の進め方に問題があるという点のみを指摘している。ただそれさえも不十分で、検査の正確性や適応の判断についても国内の論文にはないから、あるいは協力医の見解では問題はないですませている。数名の眼科医から医学的にみても問題だと言われたことや現代の眼科学からも不備を問える部分があることも伝えたのだがだめらしい様子であった。
それに根拠となるらしい論文についても基本的に「彼ら」が書いたものであり、協力医も「彼ら」が担当しているようなのだ。実際に報告書にも南青山アイクリニックの医師の論文を引用してあった。ということは自分の情報はあちらにもいってるのではないかと疑ってしまう。この点については教えられないとのことであったが、それこそ重大な個人情報である。
医学的なことはわからないと弁護士はいうのだがそんなことは当然であって、わからないから被害者側が勉強して問題点をあぶり出す。それが被害者の立場からの提訴であり弁護であると思うのである。手術から提訴まで彼らの言うなりでは被害者が納得できる裁判などできるはずもない。
さらに安易に軽い判例をつくってしまうということは、今後もし重篤な被害者が出てもそこまでなんだよと線引きをしてしまうことにもなりかねない。
もっと被害者と弁護士が調べて何が問題なのかをよく検討して、もちろん治療を含めた今後の見通しを具体的に立てて進めるべきであったと個人的には考えている。
しかしながら、これをきっかけに社会に周知されてレーシック新規希望者が減ったことは大きな意味があったと思う。